積雪
茅ヶ崎では珍しく、地面が隠れるくらいの積雪がありました。雪に慣れた地域の人に笑われるかもしれませんが、これくらいの雪で関東地方は大混乱です。夕方からどんどんと積もり始めていたので、帰宅時間を早めました。このままだと帰れなくなると思ったからです。
僕の車はノーマルタイヤなので、かなり遠回りしてなるべく坂道のない道順を選び、ゆっくりゆっくり運転して帰宅しました。無事に自宅に着いたときはほっとしました。僕は夏でも冬でも裸足にサンダル生活なのですが、雪道はさすがに足の指が冷たかったです。
翌日の朝には、雪はほとんど融けていて、スコップの出番はありませんでした。毎日これでは困ってしまいますが、数年に一回くらいならこんな雪も楽しいものです。
正月休み終わり
田舎でのんびりした正月休みも終わり、茅ヶ崎に帰ります。帰ってすぐに仕事が始まるわけではないですが、事務仕事したり掃除したり、いろいろやることに追われる日々が始まります。
僕が恵まれているなあ、と思うことは、自分の好きなこと・興味のあること・(おそらく)得意であることをずっと仕事にできていて、なんとかそれでご飯を食べられていることです。ですから、基本的に「仕事」が嫌だと感じたことがありません。仕事が楽しくて充実していますから、人生も充実していると感じます。ありがたいことです。
空は良く晴れて、富士山がキレイに見えました。波乱続きの年越しでしたが、僕は僕で、健康に気をつけて、出来ることを頑張ります。
ビーチクリーンの後に
日曜日、ビーチクリーンに参加した後、江ノ島の観光しようとしました。10年以上前に1回だけ来たことがある……かも……しれないくらいの記憶。
せっかく江ノ島の目の前まで来たのだから、と、歩いて向かったんですが、雨降り寸前の曇天。やっぱり、というか江ノ島に着いて数分で雨が降り始めました。仲見世だけ通って、その向こうの階段も登らず、何も見ないでUターンしました。仕方ないですね。その後、雨はあまり降らなかったみたいですが、傘も持たずに「いつ強く降るかわからない」という状態で歩き回るのが嫌だったのです。
今度は晴れた日にのんびり来ようと思います。江ノ島観光を止めた後は、藤沢駅に移動して、ジュンク堂書店をウロウロしました。3時間くらい。これはこれで充実した休日になりました。
令和2年餅つき04
令和2年の餅は、7種類です。左から、赤・アワ・ヨモギ、ヒエ、タカキビ、白、キビです。
私が小さい頃、まだ祖父が生きていた頃ですから30年くらい前、白・赤・ヨモギ・キビ・アワの5種類でした。その後、アワをつかなくなって4種類に減っていたのを、数年前、私の独断と偏見で増やしました。まずはアワの復活。その後、ヒエとタカキビを導入して、現在、7種類です。
個人的にはタカキビの導入が正解でした。茶色系統の色が無かったからです。キビとアワとヒエは、薄い黄色系統なので、混ざってしまうとどれがどれだかわからなくなってしまうのです。味はそれぞれ違います…びみょ〜に(笑)
種類を増やしすぎるのもどうかと思いますが、他にも面白そうなもの、美味しそうなものがあったら入れてみたいと思っています。アマランサスとかどうかな?と。父に話したら「なんんじゃそれ?」と言われて却下されました。こっそり作ってしまうつもりですけどね。
令和2年餅つき03
ヨモギ餅がつけました。ちょっとちぎって味見です。臼(うす)と杵(きね)で餅をつくときの楽しみは、搗きたての餅を食べられることです。天ぷらと同じで出来立てが一番美味いです。独特の柔らかい感触と温かさ。何もつけなくても美味しいですが、砂糖醤油で食べることが多いですね。ただ、「つき手」はついた後も、つぎの一臼のために作業があって、忙しくてほとんど食べられません。理不尽…
つきたての餅というと、「大根おろしと混ぜて食べるからみ餅」を言う方がけっこういらっしゃるんですが、私は実は食べたことも見たこともなく育ちました。大学生のときに、学園祭の餅つきで初めて食べて「全く美味しくない」という感想だったので、やってません。大根おろしは好物ですし、餅も好きですが、合わせるとなるとダメ。温度や触感が美味しくないです。これはもう好みです。
令和2年餅つき02
今年はあまり写真を撮らなかったので、餅つきの風景をブログのネタにしづらいです。我が家の餅はいろいろ混ぜ物をするのですが、写真に写っているのはヨモギです。春先にヨモギを摘んで、茹でて冷凍しておいたものを解凍して練りこみます。餅自体は、1臼2升。ヨモギの量は適当です。たくさん採取できた年はたくさん入っていますし、あまりないときは少ない。毎年微妙に違います。
乾燥させたヨモギを使うより味がいいと思っています。正月の餅は色を付けないのが一般的なようですが、我が家は昔からいろいろ混ぜています。先祖の誰がそうし始めたか、詳しくは判っていません。噂では曾祖父が我儘言って曾祖母が始めたらしいんですけども。先祖と言うにはずいぶん近いな(笑)